ケトルの日記

2015年06月09日 21時16分

「嫌われる勇気」より

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「嫌われる勇気」より


「大切なのはなにが与えられているかではなく、
 与えられたものをどう使うかである」
            嫌われる勇気 p44
(自分の)短所ばかりが目についてしまうのは、
あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、
決心しているからです。自分を好きにならないと
いう目的を達成するために、長所を見ないで短所
だけに注目している。まずはその点を理解してく
ださい。
            嫌われる勇気 p63
なぜあなたは自分が嫌いなのか?
なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないで
おこうとしているのか?それはあなたが他者から
嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に
恐れているからなのです。
            嫌われる勇気 p68
あなたは他者から否定されることを怖れている。
誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に傷を
負うことを怖れている。そんな事態に巻き込まれる
くらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうが
ましだと思っている。つまりあなたの「目的」は、
「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。
            嫌われる勇気 p68
でも、忘れないでください。対人関係のなかで
傷つかないなど、基本的にありえません。
対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし、
あなたも他の誰かを傷つけている。
アドラーはいいます。
「悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとり
生きるしかない」のだと。
しかし、そんなことはできないのです。
            嫌われる勇気 p69
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
            嫌われる勇気 p71
われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」
ではなく、「主観的な解釈」なのだと?
            嫌われる勇気 p76
われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。
しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。
そしてわたしたちは主観的な世界の住人である。
            嫌われる勇気 p77
「見かけの因果律」
本来なんの因果関係もないところに、あたかも
重大な因果関係があるかのように自らを説明し、
納得させてしまう。
            嫌われる勇気 p82
「もしも自慢するひとがいるとすれば、
それは劣等感を感じているからにすぎない」
            嫌われる勇気 p87
不幸自慢
生い立ちなど、自らに降りかかった不幸を、まるで
自慢するかのように語る人。そして他人が慰めよう
としたり、変化を促そうとしても、「あなたには
わたしの気持ちがわからない」と救いの手を払い
のけるような人です。

こうした人たちは、不幸であることによって
「特別」であろうとし、不幸であるという一点に
おいて、人の上に立とうとします。
            嫌われる勇気 p88
誰とも競争することなく、
ただ前を向いてあるいていけばいい。

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで
生まれるのではなく、「理想の自分」
との比較から生まれるものです。
            嫌われる勇気 p92
いまの自分よりも前に進もうとする
ことにこそ、価値があるのです。
            嫌われる勇気 p93
対人関係の軸に「競争」があると、
人は対人関係の悩みから逃れられず、
不幸から逃れることができません。
            嫌われる勇気 p95
あなたは先ほどいいましたね?
「幸せそうにしている他者を、
心から祝福することができない」と
それは対人関係を競争で考え、他者の幸福を
「わたしの負け」であるかのように
とらえているから、祝福できないのです。
            嫌われる勇気 p98
「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、
世界の見え方はまったく違ったものになります。
世界を危険な場所と思うこともなく、不要な猜疑心
に駆られることもなく、世界は安全で快適な場所に
映ります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。
            嫌われる勇気 p99
対人関係が復讐の段階まで及んでしまうと、
当事者同士による解決はほとんど不可能に
なります。そうならないためにも、
権力争いを挑まれたときには、
ぜったいに乗ってはならないのです。
            嫌われる勇気 p104
怒りっぽい人は、気が短いのでなく、怒り以外の
有用なコミュニケーションツールがあることを
知らないのです。だからこそ、「ついカッとなって」
などといった言葉が出てきてしまう。
怒りを頼りにコミュニケーションしてしまう。
            嫌われる勇気 p106
人は、対人関係のなかで
「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、
すでに権力争いに足を踏み入れているのです。
            嫌われる勇気 p107
行動面の目標が、次の2つ。
 ①自立すること
 ②社会と調和して暮らせること
そして、この行動を支える心理面の目標として、
 ①わたしには能力がある、という意識
 ②人々はわたしの仲間である、という意識
            嫌われる勇気 p110
友人が多いほどいいと思っている人は大勢いますが、
はたしてそうでしょうか。友達や知り合いの数には、
なんの価値もありません。これは愛のタスクとも
つながる話ですが、考えるべきは関係の距離と深さ
なのです。
            嫌われる勇気 p115
一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を
強いられるような関係は、恋ではあっても愛とは
呼べない。人は「この人と一緒にいると、とても
自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感する
ことができます。劣等感を抱くでもなく、優越性
を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて
自然な状態でいられる。本当の愛とは、そういう
ことです。
            嫌われる勇気 p116
一方の束縛とは、相手を支配せんという心の表れ
であり、不信感に基づく考えでもあります。自分
に不信感を抱いている相手と同じ空間にいて、
自然な状態でいることなどできませんよね?
アドラーはいいます。「一緒に仲良く暮らしたい
のであれば、互いを対等の人格として扱わなけれ
ばならない」と。
            嫌われる勇気 p117
われわれは
「他者の期待を満たすために生きているのではない」
のです。 ~
あなたは他者の期待を満たすために生きているので
はないし、わたしも他者の期待を満たすために生き
ているのではない。他者の期待など、満たす必要は
ないのです。
            嫌われる勇気 p135
ユダヤ教の教えに、こんな言葉があります。「自分が
自分のために自分の人生を生きていないのであれば、
いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」と。
            嫌われる勇気 p135
意外に思われるかもしれませんが、カウンセリングを
受けに来られる相談者に、わがままな方はほとんど
いません。むしろ、他者の期待、親や教師の期待に
応えようとして苦しんでいる。いい意味で自分本位
に振る舞うことができないわけです。
            嫌われる勇気 p138
自らの生について、あなたにできるのは、「自分の
信じる最善の道を選ぶこと』、それだけです。
一方で、その選択について他者がどのような評価を
下すのか。これは他者の課題であって、あなたには
どうにもできない話です。
            嫌われる勇気 p147
わたしの提案は、こうです。まずは「これは誰の
課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離
をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこから
が他者の課題なのか、冷静に線引するのです。
そして他者の課題には介入せず、自分の課題には
誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、
なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を
秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点
になります。
            嫌われる勇気 p150
課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。
むしろ入り口なのです。 ~
たとえば本を読むとき、顔を本に近づけすぎるとな
にも見えなくなりますね?それと同じで、良好な対
人関係を結ぶには、ある程度の距離が必要です。
距離が近すぎて密着してしまうと、相手と向い合っ
て話すことさえできなくなります。
            嫌われる勇気 p153
「自由とは、他者から嫌われることである」
            嫌われる勇気 p162
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを
恐れず、承認されないかもしれないというコストを
支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはでき
ない。つまり、自由になれないのです。
            嫌われる勇気 p163
われわれは共同体の一員として、そこに所属して
います。共同体のなかに自分の居場所があると感
じられること、「ここにいてもいいのだ」と感じ
られること、つまり所属感を持っていること、こ
れは人間の基本的な欲求です。
たとえば学業、仕事、交友、そして恋愛や結婚も、
すべては「ここにいてもいいのだ」と思える場所
や関係を探すことにつながっている。
            嫌われる勇気 p184
ほめるという行為には「能力のある人が、能力の
ない人に下す評価」という側面が含まれています。
            嫌われる勇気 p197
アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定
し、すべての対人関係を「横の関係」とすること
を提唱しています。ある意味ここは、アドラー心
理学の根本原理だといえるでしょう。
            嫌われる勇気 p198
なぜ人は介入してしまうのか?その背後にあるの
も、じつは縦の関係なのです。対人関係を縦でと
らえ、相手を自分より低く見ているからこそ、
介入してしまう。介入によって、相手を望ましい
方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違
っていると思い込んでいる。
            嫌われる勇気 p200
横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学
では「勇気づけ」と呼んでいます。
            嫌われる勇気 p202
人は、ほめられることによって
「自分には能力がない」という信念を形成していく
            嫌われる勇気 p202
人は感謝の言葉を聞いたとき、
自らが他者に貢献できたことを知ります。
            嫌われる勇気 p205
どうすれば人は、”勇気”を持つことができるのか?
アドラーの見解はこうです。「人は、自分には
価値があると思えたときだけ、勇気を持てる」
            嫌われる勇気 p205
人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」
と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。
            嫌われる勇気 p206
共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰か
の役に立っている」と思えること。他者から
「よい」と評価されるのではなく、自らの主観に
よって「わたしは他者に貢献できている」と
思えること。そこではじめて、われわれは自らの
価値を実感することができるのです。
            嫌われる勇気 p206
「誰かが始めなければならない。他の人が協力的
でないとしても、それはあなたには関係ない。
わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」
            嫌われる勇気 p212
もしもあなたが誰かひとりでも
縦の関係を築いているとしたら、
あなたは自分でも気づかないうちに、
あらゆる人間関係を「縦」でとらえているのです。
            嫌われる勇気 p214
やはり、共同体感覚です。具体的には、自己への執着
を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるよう
になること。そこで必要になるのが、「自己受容」と
「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。
            嫌われる勇気 p226
信頼することを恐れていたら、結局は
誰とも深い関係を築くことはできない
            嫌われる勇気 p235
ありのままの自分を受け入れる―つまり「自己受容」する―
からこそ、裏切りを恐れることなく「他者信頼」することが
できる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の
仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができ
る。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役
に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れるこ
とができる。「自己受容」することができる。
            嫌われる勇気 p242
ユダヤ教の教えに、こんな話があります。「10人
の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなこと
があってもあなたを批判する。あなたを嫌ってく
るし、こちらもその人のことを好きになれない。
そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け
入れ合える親友になる。残りの7人は、どちらで
もない人々だ」と。
            嫌われる勇気 p246
人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれ
ないことです。この現実に対して、アドラーは
きわめてシンプルな回答を用意しました。
すなわち、
「わたしは共同体にとって有益である」
「わたしは誰かの役に立っている」
という思いだけが、
自らに価値があることを実感させてくれるのだと。
            嫌われる勇気 p252
そしてここが大切なのですが、この場合の他者貢献
とは、目に見える貢献でなくともかまわないのです。
            嫌われる勇気 p252
あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、
あなたではありません。それは他者の課題であって、
あなたが介入できる問題ではない。ほんとうに貢献
できたかどうかなど、原理的にわかりえない。つまり
他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見え
る貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」
という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」をもてば、
それでいいのです。
            嫌われる勇気 p252
「幸福とは、貢献感である」
            嫌われる勇気 p253
普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」
を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。
普通であることは、無能なのではありません。わざわざ
自らの優位性を誇示する必要などないのです。
            嫌われる勇気 p261
人生は連続した刹那であり、過去も未来も存在しません。
あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与え
ようとしている。過去にどんなことがあったかなど、
あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、
未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題
ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、
そんな言葉などでてこない。
            嫌われる勇気 p271
目標など、なくてもいいのです。「いま、ここ」
を真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。
深刻になってはいけません。真剣であることと、
深刻であることを取り違えないでください。
            嫌われる勇気 p274
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を
生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生
全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか
見えたつもりになることです。あなたはこれまで、
「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去
と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生
に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついて
こられた。
            嫌われる勇気 p276
人生一般には意味などない。しかし、あなたは
その人生に意味を与えることができる。あなたの
人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなた
だけなのだ。
            嫌われる勇気 p279
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえ
あなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献する
のだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷
うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる
人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
            嫌われる勇気 p280
「わたしの力は計り知れないほどに大きい」つまり、
「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、
ただ「わたし」によってしか変わりえない、
ということです。アドラー心理学を知ったわたしに
目に映る世界は、もはやかつての世界ではありません。
            嫌われる勇気 p281

ケトル

よく売れただけでなくて、なかなかいい本です。

2018年09月13日 23時33分