しゅれでぃんがーの日記

2014年10月30日 01時02分

フィクションに内在するバトル要素

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(前略)

なかにはプロットやキャラクターを考えたときよりも、ずっとずっと多くの時間を魔法システムに費やす者もいる。悲しいことにプロの作家でも、すべてをなげうって仕組みだけに集中しました的な作品をたまに見る。さらに悲しいことに、それに大喜びする読者がいる。まるでストーリーにとって大事なのは、魔法システムだけであるかのように。

(後略)

※ 元ネタ
魔法にシステムは必要か ― 西洋ファンタジー界に起こりつつある異変【コタクベスト】
http://ch.nicovideo.jp/kotaku/blomaga/ar346629?ref=zero_marq&ver=video_q

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バトル的な要素を含むフィクションにとって凄い重要なテーマだと思うね、この話題。
「魔法」だけにとどまらず、なんかしら「競争」とか「戦闘」とかのバトル要素があれば、どうやっても考えなければならないテーマ。

ピンチの状況を表現する時に、敵の強さを「大きい」「早い」とかで表現できるなら、まぁそれでもいいんだよね。というか、大衆向け漫画とかの強さ評価っていうのはそのレベルにしておかないと。

ゲーム要素の強いもの(フィクション、ノンフィクションに関わらず)を題材にしてしまうと、ルールに対する理解を読者に必要としちゃうよねっていう。
ゲーム要素っていうのは、大体が「ルールの上で行動選択を行う」事が基板になってしまっているし。

作者自身がルールに対する理解、あと応用力が足りてないと、作者がピンチだと思って作った状況が実は全くピンチでなかった、なんてことになる。

物語の文脈としては「主人公がピンチである」という部分が最重要で、それが物語内のゲームのルール的にどうであるか、というのはフレーバーでしかない(と私は思っている)のだけれど、臨場感とか危機感を読者に感じさせるには、状況にそれなりに説得力が無いといけないのも事実。

能力物で、ルールを振りかざして戦うようなバトルは、一休さんみたいなとんち力が作者に要求されるので、大変そうだなぁと思うわけです。